Profile

1977年1月18日生

宿命数「9」運命数「7」使命数「1」天命数「8」

KALON 笑子(えみこ)と申します(*'ω'*)

宿命数「9」のわたしは考えること大好き人間

運命数「7」の影響が出てきている今は、独自のスタイルにこだわる少し変わり者?個性派?な自分と向き合い中です。

転勤族の夫と娘の3人暮らし

現在は埼玉に住んでいます。

KALON笑子の半生

自己紹介を兼ねて

ライフフローチャート(人生周期表)からみるKALON笑子の半生を綴ります(*'ω'*)

親の影響度が大きい幼少期のわたしは、両親の影響よりも祖父の影響を強く受けていたと思います。

厳格な祖父の姿を見て育ったわたし、こわいイメージは今でも残っているけれど、祖父の膝の上で時代劇を見ていた記憶もあります。

お気に入りは「遠山の金さん」と「水戸黄門」

両方が混ざって「この桜吹雪の紋所が目に入らぬか~」てやってました(笑)

中学2年生の頃、忘れもしない非行の数々。

14歳「3」の年。

「3」はこどもの数字、とはいえ遊び心を持ちすぎたことを後々大反省しました。

心を入れ替え挑んだ入試。滑り止めもたくさん受けて、結果第1希望の公立高校に進学。

そして公立短大に進学。

高校も短大も母親の出身校で、そこに入れれば親孝行だと信じていました。

後にも先にも、母親への親孝行はこれがすべてだったように思います。

20歳「9」完結の年。

終わりでもあり始まりでもある「9」の年にキーパンチャーの仕事に就きます。

翌年「1」発展の年に退職し、2か月後から電器店で働き始め、9年間勤めます。

その間、26歳「6」の年に母親が他界。

「6」の年は夫婦や家族など身近な人間関係において、絆や深さが試されるような出来事が起こりやすい年。

妹のライフフローチャートをみた時に、妹も同じ「6」の年だったのは驚きました。

(6の年に不幸が起きるという意味ではありません)

29歳「9」の年に化粧品の代理店販売を始めます。

翌年「1」の年に電器店を退職。

ここから「運命数」の影響を受ける「27」年間がスタートします。

わたしの「運命数」は「7」。

「7曜日」「虹の7色」「7音階」「7つのチャクラ」などに象徴される「7」は、「自立」「完成・完全調和」を表し、スピリチュアルな大人の数字と言われます。

今思えば、化粧品の仕事に誘ってくださった方との出会いがきっかけで、スピリチュアルな世界に興味を持ち始めました。

翌年「2」の年に化粧品の仕事で昇格します。

これはもう二度と同じことはできないのではないかと思うくらい大変でした。

「2」の年は忍耐の年。

迷いが出やすくなるが焦りは禁物。

仕事面では仲間や協力者、スタッフやサポーターを募り、教育を施し、じっくり育てていく時期。

その通り、たくさんの方々に協力して頂き、仲間になって頂きました。

感謝してもしきれません。

その後、主人と出会い結婚、36歳にして初めて親元を離れます。

知人のいない慣れない土地での出産。

日記など三日坊主のわたしが、シンプログというブログをはじめます。

38歳「9」の年にシンプログで「おうちの美化委員」と出会います。(「おうちの美化委員」についてはブログ欄にリンクを貼っています)

「9」は持ち越すものと手放すものとを選別し、はっきりと取捨選択する「区切り」の時期。

有り難いことに、「おうちの美化委員」はその名の通りお掃除とお片づけのサークル。

掃除・片づけが苦手でも、いつの間にか好きになるというスーパーミラクルハイパー有り難いサークル。

手放すこと、モノに感謝をすることなど、多くを学びました。(現在も学びの途中)

そして美化委員さんたちとのつながりで、埼玉で初めての友達ができたことも、とても嬉しい出来事でした。

「9」には、「次の新しい方向性を探るための準備段階」という意味があります。

わたしがこの年に出会い、得たものは「自分自身を癒す力」と「周りの人たちのために活かせる術」

そして「新たな出会い」と「心地よい環境」

「はづき式ヒーリング」「はづき数秘術」「チャクラのぬりえセラピー」「おうちの美化委員」

これらを合わせて、わたしの2016年「1」の年がスタートします。


SKILL UP!


2015.3.31~     チャクラのぬりえセラピー インストラクター

2015.5.24~  はづき式ヒーラー

2015.11.29      はづき式数秘術 マスタープログラム修了(東京5期生)

2016.6     まんま筆 講師講座修了

2016.7     はづき数秘術 認定アドバイザー講師養成コース修了

2016.9     はづき数秘術 認定講師 はづき数秘術アカデミー第1期生